適正就学委員会の審査

就学までの経過その1

最初のうち、セリカの障害について
「幼稚園に入ってお友達とすごしているうちに
だんだん追いついてくるにちがいない」と軽く考えていた。
しかし実際は、どんどん差が開いてくるのが現実だった。
セリカもものすごく成長しているが、
同じように他の子もそれ以上に成長していた。
年齢があがるとともに、差がどんどん目立ってきた。
身体障害は改善してきて、足取りもしっかりしてきたが、
知的面の遅れは誰の目にもあきらかだった。
このころはまだはっきりとわからなかったが、
たぶん放射線照射の晩期障害に
よるものではないかと思われた。

このまま普通学級への進学は難しそうだったので
年長組の夏休みに、適正就学委員会の審査をうけることを
すすめられた。市の教育委員会で組織される
適正就学委員会で、発達の具合をみてもらい
その子にあった進路を考えるというものだった。

私たちの希望は、障害児学級にいかせたい、ということだった。
普通学級はセリカには難しいように思えた。
先生がひとりついてくれての統合学級というのも
京都府にはないようだし
親がつきそってまで普通学級へ、という気持ちもなかった。
(幼稚園のときで懲りていたので
最初からあまり期待していなかった部分もある。)

養護学校でもかまわないのだが、家から遠すぎた。
養護学校までは、スクールバスで片道1時間半(冬場は2時間)
かけて通学しているときいていた。
スクールバスの乗り場まで、送り迎えが必要で、
家を7時にでる必要があった。
現実問題として難しいように思えた。

セリカが別室で、発達テストのようなことをしている間、
私は面談があり、委員の方は現役の障害児学級の先生と、
小学校の校長先生だった。
先輩のお母さん達から「かなりきついことを言われるよ」と
さんざん脅されていたのでどきどきしながら覚悟していったら、
にこやかな委員の方たちで噂とはまったく違っていた。
審査の結果も、「障害児学級が適当と思われる」だったので、
親の希望とむこうの診断が一致したので、 和やか
(?)に終った。

言語訓練をしているところ 理学療法をうけているところ

左96.4.17 療育センターでF先生と言語訓練をしているところ。
右96.4.17 同じくO先生に理学療法をうけているところ。

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