療育センター通所開始

セリカはどうも発達が遅れているように見えた。
2歳をすぎても、歩くのはおろか、
ひとりで立つこともまだできず、
言葉も単語が少しでるくらいで、お話をすることもなかった。
病気をしたのでしょうがない、
そのうち追いつくだろうと思っていたが
「どこかにリハビリできるような場所はないんですか」
と1992年11月の入院中、G先生に相談すると、
市内のこども療育センターから、
週1回先生が外来にみえているので、
一度診察してもらいましょうということになった。
S先生が病室まできてくださり、診察してもらった結果、
退院してから、療育センターに通うことになった。

療育センターに行って、診察と発達テストも受けた結果、
幼児クラスに週1回通うことになった。
(療育センターでの訓練については
過去の記録の雑記・「療育について」をどうぞ)

セリカの腫瘍は小脳にあったので、平衡感覚がうまくとれず、
なかなかひとりで歩くことができなかった。
脳外の先生の話だと、腫瘍のまわりもかなり大きく摘出したので
大人がこのくらいの手術をしたら、もう一生歩けないだろうけど、
子供だから、回復するし歩けるでしょうと言われた。
そしてそのとおり、
時間はかかったけど、ちゃんと歩けるようになった

センターとのつきあいはこの後ずっと続く。
訓練に通いながら、親の愚痴もきいてくれたり、
障害をもつ子のお母さん達と知り合ったりもできて
とてもありがたい存在だった。
国病の主治医G先生は、途中で、京都に転勤されたが、
数年後、センターに赴任されて、
また感動の再開を果たすことができた。

  

左93.4.13 歩けないけど、こんな車に乗って遊ぶのはOK。押して歩くのは無理。
中93.7.31 治療の合間には海にもいった。水遊びは大好きで家でもよくプールに。
右93.8.1 夏祭り。後ろの柱にもたれかかって体をささえている。

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