放射線治療 脊髄
1991.12.19〜1992.1.24(脊髄21回 28グレイ)

全脳照射がおわったあとは、脊髄への照射もはじまった。
髄液を通して、ガン細胞が行っているかもしれないからだ。
前と同じようにしるしをつけてもらう。
寝かせる段階からうつぶせにして、裸にしておく。
ストレッチャーにうつして、そのまま静かにつれていった。

そのうち、放射線治療の副作用で、嘔吐がはじまった。
からだもだるくてぐったりして、よく寝ていた。
白血球も減り、抵抗力が落ちる。
採血は月、水、金と週3回もあった。
採血室に行けると子ども番と呼ばれる看護婦さんが
さっと腕からとってくれるが病棟の採血当番は
・・・お医者さんが股の静脈からとっていくのだった。
しょうがないとはいえ、抑えつけるのもつらかった。
手術のあと、せっかくはえてきた髪もまた抜けはじめた。
ガムテープをもってきてもらい、ぺたぺたととっていた。
脳外科入院患者の必需品は帽子である。

食パンをかじるセリカ おにぎりもがぶっ!

91.12.21 朝ごはんに食パンをかじる!昼はおにぎりをかじる!

病院で過ごすクリスマス。
談話室に飾ってあるクリスマスツリーに飾り付けしたり、
セリカの病室にもいろいろ飾って、気分を盛り上げる。
富山から私の父がプレゼントをもって来てくれた。
夫と長女も交えてケーキを食べる。
子供病棟ならサンタさんに扮装したお医者さんが現れるらしいが、
ここは脳外科で子供は3人だけ。
冗談で「サンタはこないんですか〜?」といっていたら
研修医のM先生がサンタの衣装をさがしていてくれたらしい。
M先生ありがとう。朝から晩まで忙しそうな研修医の先生は、
患者さんから逆に「体に気をつけなよ」と心配されていた。
 

談話室ですごす ベッドの上でにっこり

91.12.21 病院の談話室でおじいちゃんといっしょに
91.12.22 ベッドの上でにっこり

年末年始は外泊しようかと言われていたが、
セリカは白血球の数が減っているので、感染の危険があり
外泊はできなくなった。
実家のほうでも、この寒い時期に帰ってきて
風邪をひいてもらっては困るし
病院にいる方が安心と言われた。
隣のA君は、いったん退院となり、
人も少なくさびしい病院になった。
コバルトも年末年始は休みで、
セリカは部屋ですごすしかなかった。
毎週末通ってきた夫も、おおみそかにやってきたが、
疲れがでたらしく発熱したので帰っていった。
手元にある食事記入帳によると、
夜ご飯に「そば 全部」と書いてあるので
セリカは機嫌よくすごしていたようだ。

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