腫瘍摘出手術

10月27日(日)
ご機嫌で寝たのに、また嘔吐を頻繁に繰り返す。
朝方まだ4時ごろだったと思うが、研修医の先生がきてくれて
CTをとってもらった。
朝になり、恵飛須先生から説明があった。
もう薬ではおさえきれないということで、今日の12時から
緊急手術をすることになった。
手術の前の説明では、
術後に後遺症が残るかもしれないということもいわれ
同意書にサインもした。

セリカは、一生懸命声をかけても、目もあけないし、動きもしない。
髪の毛は、手術室で剃るからといわれ、その前にと思って
泣きながら一房切り取った。
麻酔科の先生も、麻酔の説明にきてくれたが、
こちらも涙を流しながらきいていた。
なりふりかまわなかった。

日曜だったので夫の両親、兄一家、長女がお見舞いにきたが、
緊急手術になったので、従姉妹達は帰り、義父・義兄・長女は残った。
ストレッチャーに乗せられて、手術室に入るのを見送った。
神さま仏様なんでもいいから助けてください、と祈った。

約8時間をすぎて、終りましたよ、と連絡があった。
手術室からでて、そのままCTを撮ってきますからと言われ
6階のエレベーター前で待っていた。
観察室に入る前に、ストレッチャーの上でセリカの手足がばたばたと
動いているのをみて、はじめてほっとした。

先生は「うまくいきましたよ」と笑顔で言われた。
摘出した腫瘍をみせてもらったら、
白いぶよぶよとした豆腐のようなものだった。
なんでこんなものが頭の中にあったのかと思った。
体中の血液を総入れ替えになるくらいの輸血をしたときき、
この先、献血車をみたら、必ず献血をしようと思った。
また、体温がどんどんさがるので、手術室の看護婦さんたちが
一生懸命毛布で暖めてくれていたそうで、会ったこともない人にも
たくさんお世話になっていることに感謝した。

「腫瘍は全部摘出したけど、やはり悪性のものだから、
すぐに再発しますからだいたい2年と思ってください」と言われた。
(注・あくまでも当時の話です。
 今は生存率もすごくあがっています。)
手術が終るのを見届けて、義兄たちは帰っていき、
私と夫が残って交代で付添したが、
この日はほっとしたのもあって、眠くて眠くて
仕方がなかった。
セリカはずっと寝ていた。

闘病記生育歴にもどる

戻る 次へすすむ トップへもどる