幼稚園入園

入園までの経緯その2

今まで病気のことしか頭になかったけど、
「障害児」としてはじめてぶつかった壁だった。
必死で病から生還してきたのに社会は厳しいと思った。

市役所の援護課に他の用事ででかけたときに
「幼稚園、決まらないんです。」と訴えてみたけど
「え〜。断られますか〜?」とそっけない返事だった。
(念のため書き添えておくと
これは援護課の仕事の部類ではないし
他のことではいつも親切な市役所の方々だ。)

このころは療育センターでも
先生相手にさんざん愚痴らせてもらった。
センターで知り合ったお母さんたちも苦労してきたのは同じだった。
ちょっとパートをしたり(2世帯同居で)
自営の仕事を手伝ったりして
保育所に入れてもらうか
幼稚園も保育所も通わず在宅の人もいた。

どこの園も断られて、保育所にいれるしかなさそうだった。
しかし保育所は、親が働いていないと入園資格がない。
通院や訓練に毎週通い、しょちゅう風邪もひく子どもがいて、
実家も遠くて頼れず、働くのは難しかった。
第3子を3月に出産予定だったので、
それを理由に入園申し込みをした。
産後期間がおわったら適用にならないが、
そのときはそのとき、もうどうでもいいや
という自暴自棄の心境になっていた。
夜、布団に入ってから、悲しくて泣けてきたり
情緒不安定な時期だった。
(今思い出すと恥ずかしくなるくらい、
文句ばかり言っていたような・・。
普段はこんなネガティブではない。)

出産を控えたある日、遊びにきてくれた友達が
「A幼稚園さんは?A幼稚園きいてみた?」と言ってくれ
A?そこはきいてなかった。
(というか存在を知らなかった。)
同じクラスに軽い障害のある子がいるので
もしかしたら受け入れてもらえるかもよ、ということだった。
そのころはもうあきらめの境地にいたが
とりあえず電話をしてみた。
すると「一度、お子さんをつれていらしてください。」といわれ、
すぐさまセリカをつれてとんでいった。
にこやかな笑顔の園長先生が迎えてくれて
話をきいてくれた。
いままでのいきさつを話し、セリカをみてもらった。
幼稚園から返された意見書と手紙ももっていった。
園長先生の一存ではきめられないので、
「先生方全員で相談してお返事しますね。」といわれた。
ところが、帰宅して1時間もしないうちに
「ぜひうちにいらしてください」と お電話をいただいた。
目の前がぱ〜っと明るくなった。

出産予定日が数日後にせまっていたので、
翌日すぐに入園申し込みと制服の注文をしにいった。
キリスト教の幼稚園だったが、迎えてくれた園長先生が
本当の天使のように感じられた。
そばにいた、主任のA先生から
「大きいおなかを抱えたお母さんが
『いくところないんです。このままじゃ産めません!』
って言うのをみて、
絶対うちで引き受けてあげなくちゃ。
断る理由なんてないじゃないですか!
って言ったんですよ。」
ときかせてもらった。ありがたかった。

最後の最後でいい園にめぐりあえて
安心して三人目の出産を終えた。

年中組の担任はA先生だった。
幼稚園のお友達は、やさしく、
セリカが歩くときはさっと手をつないでくれたり
荷物をもってくれたりした。
先生方にも、本当によくしてもらって、
楽しい幼稚園生活をおくることができた。
感謝しつくしてもしきれないくらいお世話になった。
(セリカの幼稚園生活については
「日々の暮らし」を御覧下さい)

うちは運良く入園できたが、毎年この時期になると、
障害児のお母さんたちは 今も同じように悩んでいる。
親のほうがノイローゼになりそう、と言われたこともある。
幼稚園は義務教育じゃないので、学校のように黙っていても
どこかには入れるということがない。
障害のある子だって幼稚園にいきたい、親は通わせたい。
障害があるからこそ、大勢の集団の中で、社会にふれさせたい。
そんなささやかな願いだが、現実はきびしく、
良心的な一部の幼稚園や 保育所にたよっている。
セリカのときから今になるまで、
少しも改善されていないこの状況
なんとかならないものだろうか?

入園式 三輪車にのってます 夏休みの三姉妹

左95.4.10 入園式の日。制服が大きい。
中95.5.3 ようやく三輪車を足でこぐようになりました。
右95.8.11 夏休みの三姉妹。お姉さんぽくなってきたセリカ。

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