最後の治療終了(1993年11月)

長かった治療もやっと終了。
化学治療は1992年の2月からはじめて翌年11月に終るまで、
1年10ヶ月 かかって行われた、長い長い期間だった。

3ヶ月ごとの治療なので、髪がはえたと思ったら、
また抜けるの繰り返しだった。
外出するとき帽子はかたときもはなせなかった。
国病にもすっかり慣れた。
入院セットはそのままくずさずにおいてあったので
そのたびにもっていくおもちゃを替えるくらいだった。

ベッドの上で遊べるものはかぎられてるが、個室だったので
けっこういろんなものをもっていった。
お絵かき帳、エンピツ、クーピー、ぬりえ、折り紙、パズル、
タカラの「せんせい」(何度もかけるので重宝した)、指人形、
シール絵本、絵本たくさん、レゴブロック・・などなど。
お医者さんごっこが大好きだったので
お医者さんセットも必ずもっていった。
セリカたちのお医者さんごっこは、本格的で、点滴ごっこで、
手のひらをしばって血管をさがすところからはじめていて
まわりの笑いをさそっていた。

長女は入院のたびに夫の実家に預けられ
そこから、30分かけて保育所に通っていた。
朝は夫が保育所までおくり、
帰りは近所の友人が駅までおくってくれて
そこからおじいちゃんが電車で連れて帰ってくれた。
そこまでして通わなくてもという声もあったが
長女にとって保育所に通うのは楽しみだったので
わがままを承知でお願いした。

セリカ本人はもちろん、家族、親戚、友人、病院、
たくさんの力でのりきれた闘病だった。

長女は祖父母宅で
もうすっかり我が家のようにふるまっていた。
とはいっても、やはり親と離れた環境にいたのは、
たいへんなストレスだったと思う。
(このあたりの話は過去の記録・雑記に書きました。)
アメリカでは、ガンの子供の兄弟へのケアもあるときいたが
日本では、まだまだそれどころではないみたいだった。
しかし、いいかげん、患児の兄弟にも目をむけてやるのが
必要なのではと思う。(あくまで当時の話です。)

治療後しんどいセリカ 三週間後はすっかり元気 退院の日

左93.11.7 治療後でしんどそうな顔のセリカ
中93.11.21 三週間後にはすっかり元気。レゴも持参していた
右93.11.25 退院の日。脱げにくいこの靴を愛用していた。

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