転院と脳腫瘍の宣告

10月23日(水)に国立舞鶴病院へついたのはもう夕方だった。
セリカは診察室につれていかれたが、中からは泣き声ひとつしない。
あいかわらずぐったりと寝ているみたいだった。
診察のあと、個室にうつされ、CT検査をしますから、といわれた。
私はこのときもまだ、楽観的な考えをしていた。
なんだか普通の胃腸風邪にしてはひどいみたいけど
大きい病院にきたから
これでもう大丈夫。治療をしてもらって
すぐにうちに帰れるはず、と軽く思っていた。

CT室から呼ばれて検査を受けに行き、
私は部屋の外で待っていたら、
検査室の中から小児科の先生がたくさん出て行かれて、
「やっぱりな」という声がきこえたような気がした。
何がやっぱり?と思い、
その中にいたさっき主治医と紹介されたG先生に
「何かあったんですか?」ときくと、
小さな声で「
頭の中に腫瘍ができています。
あとはご主人がいらしてからお話します。」
とだけ言って去っていかれた。
頭の中に腫瘍・・脳腫瘍??
バットで頭を殴られたことはないが、
そういう形容がぴったりくるくらいの衝撃だった。

部屋へ戻ったセリカはあいかわらず眠っている。
眠っているんじゃなくて意識レベルが低かったのか?
脳腫瘍なんてドラマかマンガの世界でしか知らなかった。
セリカはもう助からないのだろうか?
看護婦さんが、心臓のモニターをつけにきた。
「それは何のためにつけるんですか?」ときくと
「突然心臓止まったりしたら困りますから。」という。
「突然止まることあるんですか?」
「そういうことがあったら困るからつけておきましょうね。」
との言葉に、そんな状況なんだとショックを受けた。
さらに「脳圧が高いみたいなので、さげるお薬を点滴しますね」と
言われたが、このとき、私はすでに泣いていたように思う。
便の検査もしなくては、ということで、浣腸をされたのか、
下剤をいれられたのか、記憶が不鮮明だが、
その便がおむつからこぼれてしまって、シーツを汚してしまった。
看護婦さんは「気にしないで下さいね。大丈夫ですから。」
とにこやかにシーツをとりかえてくれて、
このときも、泣きながら「ありがとうございます」と
いっていた記憶がある。
(後に治療で入院した時に
そのときの看護婦さんにあって、それを確かめたら
「あのときはたいへんでしたから。」といわれて、
やっぱり泣いてたのか・・・と思った。)
ひとりで待っている間、セリカの寝顔をながめていたら、
涙がでて止まらなかった。

夫は夜遅くやってきた。
2人でG先生にお話をききにいった。
見せられたCT写真には、腫瘍がはっきりとうつっていた。
「ここの病院の脳外科は外来しかないので、
明日、府立医大からこられる脳外科の先生にみてもらって、
たぶん、そのままいっしょに京都まで
行ってもらうことになると思います。
そこで手術をすることになりますが、
長い入院になるかもしれないので、
お母さんは一度お帰りになって荷物をとってきてください。」
というようなことを言われた。
他にも脳腫瘍のことなどいろいろ聞いたとおもうのだが
さっぱり覚えていない。
後で、またものすごくお世話になったG先生だが、
このときは顔もおぼえていないくらいだった。

いっしょにきてくれていた夫の兄の車で、
いったん自宅によって荷物をさっとまとめ
そのまま夫の実家へいき
約一週間ぶりにお風呂に入らせてもらった。
ご飯も食べなさいといわれるが、口に流し込むだけ。
テレビでは紀子さまが赤ちゃんを出産された
おめでたいニュースをやっていて
今死の淵にいるセリカとはあまりにも対照的で
冷めた気持ちで眺めていた。
寝ている長女に頬擦りをして、義父・義母にあとをお願いした。
タクシーで病院へ戻り、セリカの顔を見ながら、夫と2人、
眠れぬ夜をすごした。

翌朝(10月24日)はグリセオールの点滴のおかげで
すっきりとした顔のセリカ。
久しぶりに好きなものを食べたいだけ食べさせてやった。
脳外科の外来は午後からで
セリカの病室にきてもらえるのはそのあとになる。
セリカはにこにこと機嫌がよかった。
この小さな頭のなかに
ピンポン球くらいの腫瘍があるなんて信じられない。

夕方、脳外科のM先生がきてくれた。
待ちわびていた脳外科医!!
この人が助けてくれる、と後光がさしてみえた。
セリカはやはり脳腫瘍で、手術が必要ということで、
いっしょにそのまま府立医大にいくことになった。
救急車に乗せられて、セリカはめずらしそうにきょろきょろしていたが
移動している間中、気持ちよさそうに寝ていた。
私はというと、昨夜寝ていない上に緊張も加わってか、
いつもはしたことのない車酔いをしてしまい、
京都についたときに
「お母さん大丈夫ですか」ときかれたくらいだった。
救急車はノンストップでだけど
制限速度はしっかり守るので、よけいつらかった。

点滴のおかげで元気になったセリカ 

91.10.24 点滴のおかげで元気になったセリカ

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